【熱闘回顧 ’23】久留米商 vs 九国大付(選手権福岡大会5回戦)




令和5年7月20日、北九州市民球場では第105回全国高校野球選手権福岡大会5回戦が行われていた。注目のスラッガー佐倉俠史朗(3年)を擁して夏連覇を狙う九州国際大付と久留米商が対戦した第2試合は、久留米商がエース中島昴(3年)の力投で九州国際大付に得点を許さず、1-0とリードしたまま9回裏に入った。

追い込まれた九州国際大付は一死から4番佐倉が中前打、続く白井賢太郎(3年)も左前打で続き一、二塁と最後の粘りを見せる。それでも中島は浅嶋大和(3年)を中飛に打ち取り、完封勝利は目前だった。

ところが久留米商ベンチは「あと一人」というところで、投手を中島から背番号11の新原(しんばる)昇陽(3年)に代えた。

久留米商はここまでの3試合、仁部(にぶ)匡宏(3年)~新原の継投で勝ち上がってきた。しかしこの試合でマウンドに立つのはエースの中島だ。ここまで温存し、満を持して送り出した以上は最後まで託すものだと思っていた。中島は次打者の三宅巧人(1年)も3打席をノーヒットに抑え込んでいる。

結末はあっけなかった。三宅が一、二塁間を破る同点打を放つと、続く代打・秀嶋大翔(2年)の一、二塁間の打球はファーストのグラブをはじき、白井がサヨナラのホームへ滑り込んだ。投手交代後、わずか7球で試合が終わった。

▼5回戦(7月20日/北九州市民球場)
久留米商 000 001 000  =1
九国大付 000 000 002x=2

9回裏 九国大付 二死一、二塁 秀嶋の一塁強襲ヒットで二塁から白井が生還、サヨナラ勝ち

なぜ「あと一人」になって交代に踏み切ったのか。そもそも、完封目前のエースを代える必要があったのだろうか。

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久留米市の市立高校である久留米商は、大正4年の第1回全国中等学校野球優勝大会に九州代表として出場した歴史ある学校だ。春5回夏4回の全国出場を誇り昭和37年夏には準優勝もあるが、甲子園は昭和60年夏を最後に遠ざかっている。

監督の中村祐太(36)は同校OB。現役時代は捕手として活躍、2年時の平成16年春には九州大会に出場した。別府大学で教員免許を取得し卒業と同時に同校に赴任、部長として野球部を支えた。平成31年1月から監督として指揮をとるようになったが、翌年からのコロナ禍で練習も試合も大きく制限された。

そうした時期に「久留米商で野球をしよう」と誘い合って入ってきたのがこの年の3年生だった。その3年生を中心とする今年のチームは、中村監督が初めて腰を据えてつくりあげることができたチームでもあった。

中島昴

前年の夏は5回戦で敗れたが、188センチの長身から投げ下ろす直球に、スライダ―とカーブで緩急をつける投球が持ち味の中島をはじめ、新谷(しんがい)陽、柿原漣ら主力が残った。期待された秋は5回戦で西日本短大附に逆転サヨナラ負け。それでも主将の新谷を中心にミーティングを重ね、冬練に入る時も「自分たちでメニューを考えさせてもらえないか」と相談してきた。春の大会が終わると中村監督は試合ごとに打順を入れ替えて刺激を与え、さらなる成長を促し、チームは一投一打への感覚を研ぎ澄ませていった。

中島頼みだった投手陣は仁部、新原の2人が急成長を遂げた。仁部は三塁手・捕手としてプレーしてきたが、夏の大会直前に本人の希望もあって投手に転向。それまでも強肩を買われて登板することもあったが、最後の一カ月は投手に専念して実戦経験を積んだ。1年秋から公式戦を経験してきた新原は身体がひと回り大きくなり、球威・制球に磨きがかかった。先発よりもリリーフで力を発揮するタイプで、右サイドから繰り出す130キロ超の直球とスライダーで試合の最後を締めた。

新原昇陽

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夏の大会のベンチ入りメンバーを発表すると、中村監督は一人ひとりと話をする機会を設け、それぞれに期待することを伝えた。打撃が得意な選手には「エラーをしても打つ方で取り返せばいい」と告げた。代打、代走、守備固め…20人は自分が果たす役割について明確なイメージを持った。

「初戦で負けても決勝で負けても同じ。目指すは優勝だけ」。大会前にチームが掲げた目標は明確だった。勝ち上がっていけば5回戦で九州国際大付とぶつかる可能性がある。対戦することになれば大きな山場となる一戦をにらみ、中村監督は「4回戦までは中島抜きでいきたい」と考えた。だがその構想を自ら語る前に、部員たちの方から同じ提案をしてきた。

一発勝負のトーナメントでエースを3試合も温存することは大きな賭けになる。それでもエース温存を選んだのは、中島以外の投手たちがチーム内で信頼される存在になっていたからに他ならない。

個々の役割を確認し、チームとしての戦い方を明確にして、久留米商の夏は始まった。

2回戦は久留米学園を6-1、3回戦も西南学院を6-1で下し、県大会に入ると東筑紫学園を11-0と圧倒した。いずれの試合も仁部~新原の継投で勝ち上がった。西南学院戦は7回表を終わって1-1と苦しい試合になったが、中村監督は当初の方針を崩すつもりはなかった。選手たちもベンチで「(中島を)出さずに勝つぞ」と声を掛け合った。

勝ち進むにつれてOBや関係者から「なぜ中島を投げさせないのか」という声も寄せられたが、方針はぶれなかった。中島がこの夏にどのような投球をするのか、ベールに包まれたまま久留米商は勝ち上がっていく。映像などによる事前対策を封じ、対戦相手を心理的に揺さぶる。それが中村監督の狙いだった。

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九州国際大付との一戦は、中島と九州国際大付の2年生エース・田端竜也の投手戦となった。休養十分の中島は3回までに5つの三振を奪うなど、初回から快調に飛ばした。久留米商も5回まで一人の走者を出すことができなかったが、6回に中村陽(3年)の初安打を皮切りに二死二塁の好機をつくると、新谷がこの試合で田端が投じた唯一ともいえる失投を見逃さず、左翼フェンスを直撃する特大の二塁打を放って先制した。

6回表 久留米商 二死二塁 新谷が左越えに先制の適時二塁打を放つ

中島は8回を終えて被安打5。うち2本は弱いゴロが内野安打になったもので、このまま完封するかと思われた。

しかし中村監督は、すでに交代のタイミングを見計らっていた。「初回からギア全開で投げていたので、終盤つかまるかもしれない」と感じ、本人にも「行けるところまでだぞ」と交代を示唆していた。7回・8回はヒヤリとする当たりもあった。ただ、捕手の中村有汰(3年)からは「カーブが効いている」と報告を受けていた。中村監督の目にも相手打者はカーブにタイミングがあっていないように見えた。

このカーブが見極められるようになった時、迷いなく交代に踏み切るつもりだった。

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9回裏、九州国際大付の3番山口修平(3年)が三塁線に痛烈な一打を放つ。サード川添雄太(2年)がこれに鋭く反応、好捕して一塁へ冷静にワンバウンド送球し、俊足の山口を刺した。川添は今大会初スタメン。「九国はこれまでの試合、一・三塁線を破る長打が多かった。あの打球を抜かせないために出した選手」という中村監督の起用に応える好プレーだった。

9回裏 九国大付 二死一、二塁 三宅が同点の右前適時打を放つ

だが、ここから九州国際大付が底力を見せる。佐倉がカーブを2つ見送ったあと最後は直球をセンター前にはじき返す。ここで中村監督は決断した。伝令を送り「7番の三宅までまわったら新原に継投する」と伝えた。三宅は中村監督が「嫌だと思っていた」打者の一人で、前の打席(レフト左へのライナー)もタイミングが合っているように見えた。

白井に8球粘られた末に左前打を許し一死一、二塁。浅嶋を中飛に打ち取ったところで新原がマウンドに向かった。

その後の結果は冒頭に記したとおりだ。

打たれた新原には酷な終わり方となったが、中村監督はあの場面でチームとして最適と思われる選択をした。選手たちもそれぞれの立場で、自分たちの役割を全うした。

なぜ「あと一人」になって交代に踏み切ったのか。その答えは「その方が勝てる確率が高いと判断したから」である。

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この夏、中村監督は多くのことを学んだと実感を込めて語る。日々成長していく部員たちと言葉を重ね戦略を練り、一体感を持って戦い抜いた経験は、今後のチームづくりの大きな財産となるだろう。

中村監督のもと古豪復活を目指す久留米商の挑戦は、始まったばかりだ。(文中敬称略)

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