このサイトでは福岡県の高校野球に関する記録も随時整理していきたいと思っていますが、かなり気の長い作業になりそうです。まずは過去の夏の選手権大会における福岡代表の戦績を振り返っていきますが、筆者のモチベーション維持のため1大会ごとにアップしていきたいと思います。お付き合いいただけると幸いです!
1915年(大正4年) 第1回選手権大会/久留米商(初出場) 優勝=京都一中(京都)初 | |||
第1回大会は大正4年。当時は福岡県単独の大会はまだなく、九州大会として開催された。この九州大会には、福岡から久留米商のほか修猷館、八女中、嘉穂中、伝習館、豊国中、福岡師範の7校、長崎から東山学院が参加して8校によるトーナメントが行われた。 大会日程は2日間。このため1回戦4試合を初日、準決勝と決勝の3試合が2日目に予定されていた。だが初日の第4試合、豊国中ー福岡師範の試合は日没のため翌日に順延。この試合に勝った豊国中は準決勝でも4-3で修猷館を下し、決勝の久留米商戦はこの日3試合目となった。久留米商に1-8とリードを許した前半、疲労のため棄権を宣言、第1回大会の優勝は相手の棄権によって決定した。 全国大会では和歌山中と対戦。チームの中心であった城崎投手は10三振を奪う力投を見せたが、「九州の長旅の疲れ、先輩の歓迎攻めとで疲れが出て肩が痛み出し、そのうえ、和歌山は地元であるため応援も多く、野次られて8回表にエラーがつづき…」(松尾正信著『久商物語』)、結局12四死球を与え、守備も8盗塁を喫し10失策と乱るなど2-15で大敗した。「その戦闘法は未だ原始的一騎打ち勝負の域を脱せず…」と試合概評にあるように、技術面・戦術面で和歌山中とは差があり、久留米商の犠打・盗塁=0という数字がその攻撃の単調さを物語っている。 全国大会出場にあたってユニフォームは新調したが、「スパイクが久留米、福岡の運動具店になく、大阪に着いて買った」、という逸話も残っている。 ◇1回戦(8月19日・第一試合/豊中) |
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