1916年(大正5年) 第2回選手権大会/中学明善(初出場) 優勝=慶応普通(東京)初 | |||
第2回大会の九州大会は10校が参加したが、すべて福岡県のチームであり、事実上、福岡代表を決める予選であった。当時、福岡県の中等野球は、中学明善と修猷館が2強とされていた。両校は当時、第五高等学校(熊本大学の前身)が主催していた中等学校大会「五高大会」に参加しており、ライバル同士。中学明善には大学などで活躍するOBの指導を受けるなど、技術・戦術で頭一つ抜けた存在であった。 1回大会は部員不足で欠場した中学明善は、宿敵の修猷館を準決勝で下して優勝。だが全国レベルにはまだまだ通用せずに1回戦は広島商に12安打を浴び、失策10もあって大敗した。 当時は敗者復活戦の制度があり、1回戦で敗れた6校から抽選で2校が復活。この2校が対戦して勝者が準決勝に進めるシステムだった。 抽選で敗者復活戦への出場権を得た中学明善だが、鳥取中に序盤からリードを許し厳しい戦いとなり、8回を終えて4-9。最終回2点を返してなお二死二、三塁。ここで事件が起きた。続く打者の遊ゴロを野手が一塁に暴投。すでに薄暗くなっていたグランドをボールは転々とし、そのボールを相手野手が探している間に2人の走者、そして打者も生還して同点…かと思われた。だが、主審が「打者アウト」の宣言。「今日引き分けにして再試合を行えば、明日はどちらかが2試合をすることになる。それはできない」という説明だったという。 今ではとても考えられないことではあるが、草創期だからこそ起きた珍事。こうして同点は幻となり、中学明善は2連敗で大会を終えた。 |
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◇1回戦(8月16日/豊中) 一二三四五六七八九 計 H E 広島商 0 1 2 2 0 2 9 3 0 19 12 7 中学明善 0 0 2 0 1 0 0 1 0 4 18 10 <本>柚花 <三>石本2、小島 【中学明善】打安 【広島商】 打安 6 佐々木 51 6 柚 花 43 2 国 武 52 8 田 川 41 5 木 下 51 1⑼石 本 63 7 上 野 52 2 小 島 52 4 松 前 50 5⑴坂 本 31 3 梅 野 41 4 石 田 60 9⑴権 藤 30 7 牛 尾 40 8 新 井 21 3 増 岡 62 1 吉 和 20 9⑸島 田 30 ⑼ 横 尾 00 振 四犠盗 失 36 8 振四犠盗失 4112 11 6 0 7 10 99477 |
◇敗者復活戦(8月18日/豊中) 一二三四五六七八九 計HE 中学明善 0 0 0 0 0 3 1 0 2 6 6 2 鳥取中 1 0 0 6 0 0 0 2 x 9 6 6 <二>上田、中村 【中学明善】打安 【鳥取中】 打安 6 佐々木 52 7 上 田 31 8 新 井 52 8 中 村 52 5 木 下 20 4 岩 田 41 7 上 野 41 1 松 木 30 2 国 武 40 5 松 本 51 3 梅 野 41 9 松 田 30 4 松 前 40 6 山 本 31 9⑴⑼権藤 30 3 中 沢 10 1⑼⑴吉和 30 2 伊 谷 10 振 四犠 盗 失34 6 振四 犠 盗 失 28 6 11 4 0 10 2 6 13 2 10 6 |
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