夏への現在地’26⑤【真颯館】~名将最後の夏 12人で目指す甲子園




堅守で7大会連続の県大会へ

昨秋こそ初戦で九州国際大付に敗れたものの、春は4回戦、北九州市長杯では準決勝まで進出。柳川、自由ケ丘の監督としてこれまで6度の甲子園を経験してきた末次秀樹監督に率いられた真颯館は、今年も上位をうかがう一校だ。

真颯館・原田

エース・原田昊空(3年)は130キロ台後半の直球に落差のあるカーブを武器とする右腕。決め球にはチェンジアップもある。立ち上がりに課題があったが「ボールになることを恐れず腕を振る」ことを意識するようになったこの1カ月は、練習試合で強豪校相手に好投を続ける。リリーフには制球のよいサード山口太雅(3年)が控えており、夏はこの2人を中心にマウンドを守っていく。

「派手さはないが守備が安定している」というのが末次監督の今年のチーム評。特にセカンド後藤龍心、ショート中川幸也(いずれも3年)の二遊間は堅く、捕手で司令塔役の千々和修來(同)が「うちの二遊間は北九州で一番だと思っている」と絶対的な信頼を置く。

エース原田「ピンチでも落ち着いて低めに制球できるようになった。夏は失点を恐れずテンポよく投げることを心掛けたい」

攻撃面では〝主砲〟と呼ばれるような傑出した選手はいないがバントやエンドランを絡め、しぶとく得点していく。打順は試行錯誤があったがここにきて稲見大樹(3年)と千々和が調子を上げており、夏の大会では中軸に座ることになりそうだ。

やや小粒ではあるがまとまっており、2019年夏から続く県大会出場、さらにその上を視野に入れる。ただ、例年と違うことが一つだけある。それは部員がベンチ入りの20人に満たないことだ。

末次監督が今夏で退任

柳川商の4番打者として出場した1976年夏の甲子園で大会新の8打席連続安打を記録した末次監督は、監督としても柳川で5度、自由ケ丘で1度甲子園を経験。69歳となった今も1球ずつ部員たちに語り掛けながら、ノックバットを振るう

1936(昭和11)年に九州工学校として創設された私立校。戦後、九州工に改称された。昭和40年代には8年連続で夏の県大会に出場するなど黄金期を築き、1970年夏に初優勝。その後、94(平成6)年夏に二度目の優勝を果たすが、真颯館への校名変更(99年)を挟んで長い低迷期に入る。部員不足による出場辞退も度々あり、2013年4月に末次監督が着任したとき部員は7人だった。

そこから強豪校への階段を駆け上がる。2016年夏は2年生エース・高木渉(のち西武)を擁してベスト4。2019年、21年の春は九州大会出場を果たし、21年夏は好左腕の松本翔(現・西部ガス)を中心に決勝まで勝ち上がった。甲子園出場こそ果たせていないが末次監督のもとに力のある選手が集まり、室内練習場や寮を完備する環境にも恵まれ、北部の強豪としての地位を確立してきた。

木下副部長は明徳義塾~東亜大でプレーし日大で教職を取得。2018年夏には沖学園の部長として甲子園を経験。沖学園中等部で3年、常磐で4年監督を務めた

その末次監督が今夏限りで退任する。当初は契約が満了する2025年3月に退く予定で、24年秋に一部メディアでも退任が報じられた。その後、保護者の要望を受けて現3年生が引退する26年夏まで指揮を執ることになったが、退任が報じられていたこともあり25年春の入部者は2人だけ。さらに後任の選定が昨冬までずれ込んだ影響で中学生のスカウトができず、今春の入部者もゼロ。末次監督最後の大会は3年生11名、2年生1名でのぞむこととなった。

後任には今年4月、部長に秋吉慶吾・東明館(佐賀)前コーチ、副部長に木下康平・常磐前監督が就任。新チームは木下新監督のもとで始動し、末次監督は来年3月まで総監督として支える。木下副部長は「まずは現チームのサポートに全力を尽くす。末次監督の教えを継承しつつ、高校生らしいスピード感あるチームをつくりたい」と語る。




勝利よりも大切なもの

昨夏、3年生が引退して人数が一気に減るとチームの環境は一変した。練習は「怪我をしないこと」ことが最優先となり、休日や長期休暇中の練習も昼過ぎには終わるようになった。

フリーバッティングでは打撃投手を交代で務め、練習後のグラウンド整備や片付けは末次監督も加わり全員で行う。試合でも5回終了時のグラウンド整備では、出場中の選手もトンボをかける。それでも部員たちは「フリーバッティングで打てる本数は増えたし、ノックもたくさん受けられる。人数が少ないぶん周りが見えるようになり、いろんなことに気づくようになった」(稲見主将)と環境の変化を前向きにとらえている。

稲見主将「チームの持ち味である堅実な守りからリズムを作り、最後の年となる監督を自分たちの力で勝たせたい」

変わらないものもある。「子供たちが野球を嫌いになるような指導はしない」という末次監督の方針だ。例えば練習の機会は平等に与える。真颯館には一番多い時で80人が在籍していたが、全員が同じ本数を打つためフリー打撃だけで練習が終わることもあった。

「全員平等」はチームを強くすることだけを考えると非効率とも言える。それでもこだわる背景には野球人口減少に対する危機感がある。「体罰や罵倒、価値観の押しつけ、特定の選手の優遇など、子供を野球嫌いにする指導がまだ行われている。私もかつては厳しく指導していたが、時代にあわせて改めてきた。野球界として改善していくべき問題」と強調する。

受け継がれるタスキ

千々和は強肩の捕手。「この1カ月は捕球から送球までのスピードアップに取り組んできた。盗塁を刺してチームに勢いをつけたい」

3年生、そして末次監督にとって最後の夏を迎える。「真颯館では部員7人から始まった。決してうまくはなかったが、みな野球が好きだった。今年も人数は少ないが野球好きばかり。いいメンバーで最後を締めくくれる」と末次監督。千々和は「監督には野球だけでなく、当たり前のことを当たり前にやる大切さを教わった。12人で甲子園に行って監督の有終の美を飾りたい」とチームの思いを代弁する。

夏が終われば部員は竹内一宏(2年)だけになる。父も白球を追った同校を志望し、少人数での活動になることを承知の上で入部してきた。秋と春は合同チームで出場し、来春の新入部員を待って再び真颯館の歴史は動き始める。

受け継がれてきたタスキをまだ見ぬ後輩につなぐため、名将と共に12人が一丸となってこの夏を戦う。




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