夏を駆ける’25⑤【育徳館】~「夢よ、もう一度」 地元の仲間と再び挑む甲子園




昨秋、初の九州大会で8強
エース島を中心に堅い守り

小倉藩の藩校「思永斎」をルーツとする県立校。戦前は旧制豊津中学、戦後は豊津高校として歴史を刻んできたが中高一貫校となったのを機に2007(平成19)年、育徳館に改称した。野球部の創部も1899(明治32)年と古く、戦前から球史に名を連ねてきた県内でも屈指の古豪だ。全国大会、九州大会の出場経験はなく夏の最高成績はベスト8。2022(令和4)年には34年ぶりにベスト8入りを果たすなど、夏は直近5大会で三度県大会に進出している。

昨秋は堅守をバックに接戦を勝ち上がり、準決勝では激しい打ち合いの末に東福岡に逆転サヨナラ勝ち。創部125年目にして九州大会初出場を決めた。九州大会でも初戦で日南学園(宮崎)を延長タイブレークの末に破ったが準々決勝で柳ヶ浦(大分)に敗れ、あと一歩のところでセンバツ切符を逃した。

育徳館・島

1年秋から出場する島汰唯也(3年)ー隅田勇輝(同)のバッテリーがチームの中心。島は長身から投げ下ろす130キロなかばの直球で内外角を厳しく攻め、スライダーやカーブを低めに集める。140キロを超える剛球や三振を量産する変化球があるわけではない。それでも失点が少ないのはコントロールのよさに加え「打者との間合いのとり方、隅田のインサイドワーク」(井生広大監督)によるところが大きい。

昨秋福岡大会準決勝、東福岡に逆転サヨナラ勝ちの瞬間、喜びを爆発させる育徳館ナイン

打線は俊足強打の3番山下恩生(3年)、勝負強い4番隅田が軸だが、東福岡戦では小兵の2番小森航汰(3年)が同点3ラン、7番荒津星瑛(同)が右中間に逆転サヨナラ打を放つなど切れ目がない。走れる選手も多く、足をからめた攻撃も目立つ。

春の大会は島が足の肉離れで登板を回避、4回戦で東筑に敗れた。それでも榎海斗(3年)、林田弘希(同)が公式戦のマウンドを踏み、夏に向けて貴重な経験を積んだ。榎は右上手から130キロ超の直球を投げ込む本格派、林田は右サイドから丹念にコーナーをつく軟投派で、夏は島を含めた3人でマウンドを守っていくことになりそうだ。

打撃練習を行う育徳館の選手たち

中学生勧誘は一切なし
学校生活を厳しく指導

井生(いおう)監督は小倉から明治学院大に進み、独立リーグの徳島、愛媛でプレー。その後、教員を志し2022年4月に育徳館に赴任した。副部長を経て2023年4月から監督を務める

行橋市の南に位置する京都郡みやこ町に学校がある。グラウンドはサッカー部などとの共用だが試合をするには十分の広さ。内野には黒土が入り整備が行き届いている。練習は月・金曜日が16時すぎ、それ以外の平日は17時過ぎに始まり19時には終わる。オフの日と、ウエイトトレーニングの日を週に一度ずつ入れる。

部員は41名。内部進学してくる育徳館中のほか周辺の中学からも入部してくるが「中学生への声掛け(勧誘)は一切していない」と井生監督。この4月まで一人で練習を見ていたため視察の時間が取れなかったこともあるが、根底には「野球だけしておけばいい、という生徒をつくりたくない」との思いがある。そのため、中学で全国大会に出場したような逸材が入ってくることはない。

九州大会初戦でサヨナラ打を放った4番隅田は捕手・主将を務めるチームの柱。「島は自分の配球通りに投げてくれる。その力を引き出し、試合を作るのが捕手である自分の仕事」

それでも福岡大会を勝ち抜いて九州大会で白星をあげることができたのは、プロ野球独立リーグでプレー経験がある井生監督の技術指導によるものかと思いきや「生徒たちに話をするのは生活指導のことばかり」という。「提出物を出さない、道具がきちんと片付けられていない、そういうことに対してはめちゃくちゃ怒りますね」。野球がうまくても学校生活はだらしない。そんな態度を嫌い、厳しく戒める。「周りから応援される人たれ」というのが指導の根幹だ。

俊足強肩で鳴らす3番山下。「ミート力と足を生かして出塁し、チャンスをつくるのが自分の役割。強いライナーを打つことを意識している」

今の3年生は井生監督が就任した年に入部してきた世代。学年担当としても3年間、学校生活を共にしてきた。「根っからの野球好きが多い」という3年生のなかで、その代表格といえるのが1番ショートの高瀬永遠(3年)だ。「ものすごく考えながら野球をしている。周りをよく観察していて、セーフティバントや三盗など意表を突くプレーを成功させる」と井生監督も一目置く。「もとから高い素質があったわけではないが、コツコツと努力してレベルアップしてきた」と評価する山下は、今や中軸としてチームを支える存在だ。

秋の逆転勝利を自信に
夏は「野球を楽しむ」

「次に起こり得ることを常に想定しながらプレーをしている」という高瀬は副主将を任される。「考えることで野球が上達し、楽しくなることを実感している」

昨夏4回戦の福大若葉戦。延長10回タイブレークの末、最後は失策でサヨナラ負け。その瞬間、島や隅田らと共にグラウンドに立っていた高瀬は「あの時の悔しさが原点。先輩たちの無念を受け継いで甲子園を目指そうと話し合ってきた」。九州大会ではセンバツ選出の目安となるベスト4を目前にしての敗戦。春は結果を残せず、チーム状態が落ち込んだ時期もあった。「それでもここまで這い上がってきた。あと一歩で逃した甲子園の切符を今度こそ掴みたい」と闘志を燃やす。

「冬場は体力向上を図り、ピンチでギアを上げられるようになった」とエース島。「どんな場面でも笑顔を忘れず、楽しんで投げていきたい」

九州大会出場を決めた東福岡戦をターニングポイントとして挙げる選手も多い。主将の隅田は「リードされていても誰も諦めてなかった。ベンチで声も出ていたし、チーム全体でどう対応していくか皆が考えていた」。島も言う。「苦しい場面でも誰も下を向くことなく、チーム一丸となって粘り強く戦えた」。あの試合での経験は大きな自信となってナインの心に根付いている。

粘り強く。泥くさく。夏の抱負を語る隅田が最後に加えたキーワードが「野球を楽しむこと」。地域の野球好きが集まって、勝つために必要なことを自分たちで考えながら上達してきたチーム。最後の夏は、とことん野球を楽しむつもりだ。

グラウンドで練習を見守っていた井生監督が最後に笑顔で言った。「行きますよ、甲子園に」。

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