「申年」の福岡の高校野球を振り返る




 明けまして、おめでとうございます。本年もよろしくお願いします。
 2016年最初の記事は、今年が「申年」ということで、昨年に倣い、過去の「申年」の福岡の高校野球を振り返ってみたいと思います。

 12年前の申年は2004(平成16)年。センバツには、前年秋の九州大会を制した福工大城東が3度目の出場を果たしました。監督は現在、東海大五で指導する杉山繁俊監督。この年の福工大城東は草場晃二、日下将太の2人を中心に、富田裕貴、柴田講平(阪神)、西村憲(阪神→石川)、定岡卓摩(元ダイエー)と、普段は野手として出場する選手も含めて複数の投手を抱えており、継投で勝ち上がってきました。センバツでは1回戦で斑鳩(奈良)を5-0、2回戦では拓大紅陵(千葉)には終盤もつれましたが9回裏4-4から藤沢のサヨナラ2点本塁打で勝利。準々決勝では社(兵庫)と対戦、9回まで1-5と劣勢でしたが9回裏に4点を追いつくと4点を勝ち越された延長11回裏にも2点を返すなど、粘りを見せました。春3回、夏2回の甲子園出場を誇る福工大城東ですが、2勝を挙げベスト8に進出したこの大会が、これまでのところ最高成績となっています。
 夏は西日本短大付が全国制覇を成し遂げた1990(平成2)年以来の出場を果たしました。現在も同校の指揮を執る西村慎太郎監督の甲子園初陣となりました。初戦は東海大甲府(山梨)と対戦。試合は打撃戦となりましたが、6-11で打ち負ける結果となりました。

 その前の申年は24年前、1992(平成4)年です。この年のセンバツには福工大付(現福工大城東)と常磐の2校が出場しました。いずれも春夏通じて初の甲子園でした。福工大付は初戦で強豪・広陵と対戦、1-14の大差で敗れ、ほろ苦い甲子園デビューとなりました。常磐はエースに右腕・花田章投手、4番には石井康雄選手(のち新日鐵八幡)を擁して、優勝候補の東海大相模(神奈川)と対戦しました。東海大相模にはのちに近鉄に入団する吉田道投手がおり、4安打1得点に抑えられ1-4で敗れました。
 そして、夏は西日本短大付が3回目の出場にして全国制覇を果たし、福岡の高校野球界にとって記念すべき大会となりました。浜崎満重監督のもと、「鉄腕」とうたわれた森尾和貴投手(のち新日鐵八幡)が高岡商(富山)、三重と完封。準々決勝では北陸(福井)に1点を許しますが、準決勝・東邦(愛知)、決勝・拓大紅陵といずれも得点を与えず、6試合でわずか1失点という驚異的な投球を見せて1965(昭和40)年の三池工以来となる、福岡県勢の優勝を成し遂げました。

 さらにその前の申年を見てみると、
 1980(昭和55)年 → 春…柳川(1勝)/夏…田川(初戦敗退)
 1968(昭和43)年 → 春…博多工(初戦敗退)/夏…飯塚商(1勝)
 1956(昭和31)年 → 春…久留米商(初戦敗退)/小倉(初戦敗退)

 いずれもセンバツに代表を送り込んできましたが、今回の申年はその記録が途切れそうです。夏は過去2回、西日本短大付が出場しており、「申年に強い」ジンクスを今年も生かせるでしょうか。

 なお、昨年夏の大会で観戦しながら記事を書いていなかった5試合について、今更ですがアップしていますので、あわせてお知らせしておきます。
希望が丘8-1東筑紫学園 北九州10-0行橋 有明高専3-2福岡常葉 宗像9-2門司大翔館 東海大五9-4久留米商

希望が丘8-1東筑紫学園

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