過去の「未年」の福岡の高校野球を振り返る




 新年明けましておめでとうございます。今年も本サイトをよろしくお願い致します。
 さて、2015年の今年は「未(ひつじ)年」ですね。そこで今日はこれまでの「未年」の福岡の高校野球を振り返ってみたいと思います。

 前の未年は12年前の2003年(平成15年)です。まず、春のセンバツには柳川が出場しています。監督は末次秀樹監督(現真颯館監督)、エースは林広宣投手でした。同校は前年の秋の大会は福岡3位で九州大会に出場。鹿児島商、海星を連破して準々決勝に進みましたが延岡学園に惜敗。センバツは厳しいかと思われましたが、準決勝でその延岡学園にコールド負けした佐賀東を抑えてのセンバツ出場となりました。甲子園では柳川は2回戦から登場し、初戦で右の本格派・平岡政樹投手を擁する徳島商と対戦、1-2で敗れています。
 夏は筑陽学園が初出場を果たした年でした。長野久義選手(現巨人)が在籍した次の代のチームだったと思います。福岡大会では奥平優、行徳陽二朗を中心とした継投で勝ち上がり、決勝では2年ぶりの夏の甲子園出場を目指した九産大九州と対戦。1-6の劣勢を跳ね返して13-8で逆転勝利。春夏通じて初の甲子園を勝ち取りました。
 この時対戦した筑陽学園・江口祐司、九産大九州・森崎哲哉の両監督は、現在も指導を続けています。ちなみに昨年秋の秋季大会でも両校は4回戦で激突、この時は1-0で九産大九州が勝っています。筑陽学園の甲子園初戦は、当時2年生エースだったダルビッシュ有(現レンジャーズ)のいた東北(宮城)。1回裏に7点を失い6-11で敗れはしましたが、2回に2点、3回に4点を奪ってダルビッシュをKOするなど見せ場を作りました。この時の東北の監督が、昨年夏を最後に引退した九州国際大付の若生正廣前監督です。

 その前の未年は24年前の1991(平成3)年。センバツは福岡大大濠が3度目の出場、中野正英監督にエースは野口直樹投手でした。初戦で宇都宮学園(栃木・現文星芸大付)に4-7で敗退。同校はこの時以来、甲子園の土を踏んでいません。
 夏は柳川。15年ぶりの出場でした。甲子園出場9回を誇る福田精一監督最後の甲子園となりました。2年生エースの田島修投手、のちに巨人に入団する1年生ショート・大畑裕勝選手ら若い選手の活躍で米沢工(山形)、専大北上(岩手)、佐賀学園を破ってベスト8進出。準々決勝では、大野倫投手(のち巨人→ダイエー)のいた沖縄水産に4-6と敗れました。

さらにその先は出場校と結果だけ。
 1979(昭和54)年 → 春…久留米商(初戦敗退)/夏…八幡大付(初戦敗退)
 1967(昭和42)年 → 春…出場なし/夏…小倉工(1勝)
 1955(昭和30)年 → 春…小倉(初戦敗退)/夏…小倉(初戦敗退)

 戦後、5度あった未年ですが春は出場4回で未勝利。夏は5度の出場で初戦敗退が3度。柳川のベスト8進出以外は、あまり結果が残せていません。それでもセンバツには5回のうち4回出場しています。朗報を待つ九産大九州など候補校にとっては、頼もしいデータではないでしょうか。

 

 

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