1932年(昭和7年) 第18回選手権大会/小倉工(3年連続3回目) 優勝=中京商(愛知)② | |||
5季連続の甲子園となった小倉工。強打者・新富、不動の1番打者・田才、内野の要である藤本らのメンバーが残り、新たなエースには酒井安夫を擁して春のセンバツでは1勝。新富の打棒にはさらに磨きがかかり、北九州大会の1回戦・小倉中戦で5本の本塁打を放つなど、全国屈指の打者に成長していた。 初戦の相手は名門・和歌山中。小倉工打線は大谷投手のドロップの前に3安打に抑え込まれ、酒井投手はよく投げたが5回に木村にタイムリーを許した1点が決勝点となった。 新富もノーヒットに終わったが、その守備は野球評論家の飛田穂洲をして「…希に見る三塁手の善防というべく、その一塁送球は神に迫り、余りにもあざやかなる驚嘆久しうするものがある」と絶賛された。 新富は卒業後、門司鉄道局を経て、1934年に結成された大東京野球倶楽部(のちの巨人軍)に入団。翌35年からのアメリカ遠征にも同行、中軸として活躍。入隊により退団した後、除隊となって39年に阪急に入団した。41年に再び召集を受け、45年に戦死を遂げた。 ◇1回戦(8月13日) |
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