学生野球資格を回復した元プロ野球選手たち②




 かつて近鉄で活躍した羽田耕一氏が2月1日付で母校の兵庫・三田学園監督に就任しました。羽田氏も今年1月30日付の「学生野球資格回復に関する規則第4条による適性認定者」です。福岡でも昨年2人が就任したように、元プロ野球選手の高校野球監督就任は全国的に増えていくことになりそうです。
 さて、今日も福岡県高校野球連盟に学生野球指導登録届のあった元プロ野球選手について、調べてみました。

【齋藤英雄】(小倉工→近鉄)
 小倉工では2年生の昭和41年に夏の甲子園に出場し、ベスト4に進出しています。主に2番左翼兼投手(左腕)として出場、2回戦でリリーフを務めると、準決勝の松山商戦では先発のマウンドに立ち5回1失点と好投しましたが、この1点が決勝点となり敗れました。
 新チームでは3番右翼として中軸を担い、引き続き投手としても活躍。秋の九州大会は1回戦で敗れてセンバツ出場は逃しましたが、翌年夏も2年連続で甲子園へ。この時に福岡大会決勝で下したのが前回触れた奥宮選手のいた九州工でした。甲子園では先発を務めた初戦は逆転勝利したものの、2回戦で大分商に敗れました。甲子園での通算成績は22打数7安打1打点、打率3割1分8厘。投手としては14イニングスで自責点3、防御率は1.92でした。
 その後、サッポロビールを経て、昭和44年のドラフト会議で近鉄の8位指名を受けて投手として入団を果たしますが、プロでは一軍登板なく、現役生活はわずか3年に終わっています。

【流  敏晴】(小倉商→阪急)
 当時、野球校としては無名だった小倉商のエースとして、昭和40年秋の福岡北部大会では決勝に進出。決勝では小倉に敗れて九州大会目前で涙をのみました。右サイドハンドからの威力ある直球を武器に、翌年春の大会でも2回戦の八幡戦で7回参考ながら完全試合を演じるなど3試合連続完封で北部大会の準々決勝まで進みます。夏の大会も準々決勝まで勝ち上がりましたが、最後は柳川商を5安打に抑えながら0-1で敗れました。
 同年秋の第一次ドラフトで阪急の2位指名を受けて入団。9年間のプロ野球生活では12試合に登板し1勝2敗。防御率は3.71。引退後はオリックスでスカウト担当部長、編成部長を務めるなど球団幹部として長らく活躍してきましたが、平成26年末で退団しています。

 前回の楠城、奥宮氏と同様、二人とも昭和40年前後に活躍した元プロ野球選手。先の二人に続いて、その経験が福岡の高校野球界に還元される日が来るのでしょうか。注目したいと思います。

 

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